宮本屋窯は、天保2年(1832)に吉田屋窯の支配人であった宮本屋宇右衛門によって再興された窯元です。素地工には若杉窯の陶工であった木越八兵衛が、画工には飯田屋八郎右衛門がそれぞれ主工として招かれました。
窯が開いてしばらくして、旧吉田屋窯が改造されて、また九谷村や榮谷より運ばれた良質な原料によって精製された素地は白色でやや青みを帯びた磁胎に改良されました。原料そのものが限られていたため、量産とならなかったことが粗製乱造につながらなかったといわれます。
こうした素地に赤絵細描や金襴手によって加飾された、比較的少ない製品は、吉田屋窯の青九谷に比して赤九谷と呼ばれ、精製された白素地に絵付けされた細描図が描かれた製品は評判となったといわれます。