庄三工房で使われた素地

九谷庄三は、元は寺井村の人でしたが、庄七(九谷庄三の幼名)といっていたころから、若杉窯、小野窯で修業し、小野窯では着画もしたといわれますが、天保12年(1842)、26歳のとき、寺井に戻り、絵付工房を開きました。庄三風という画風を生み出し、それが評判を呼び、製品の数も増えましたので、素地は能美郡内の窯元から良品が選ばれました。

庄三は、絵付工房を開く前に、陶石を探したところ、寺井では見つからず、小松の五国寺で陶石を発見し、また九谷村の陶石で必要な素地ができるかどうかを研究したといわれますが、結局、佐野村と同じように、素地作りと絵付の分業化が図られました。

こうして、庄三工房で用いた素地は、初めは小野窯、後には若杉窯の良品でした。それらの素地の色は淡い茶褐色であり、淡い鼠色であって、白磁を用いることは少なかったといわれます。それはそれらの素地が庄三風に向いていたからといわれます。使われた絵の具が青・緑・紫・赤・黒などの中間色で、精緻な花鳥図、中国風の山水図、農村の風景図などが密集して描かれ、文樣なども利用して空間を埋めることに巧みであったので、白磁の素地でなくともよかったと考えられます。

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