九谷焼の銘3.明治九谷の銘

明治九谷の銘は、すでに再興九谷で見られた角「福」の他に、製品名あるいは産地名の「九谷」、窯元名、陶画工名などに加えて、新たに、陶画工名の屋号という形を変え、あるいは、国号、堂号などが加わりました。

銘「九谷」

「九谷焼」という呼称が文政年間に生まれ、吉田屋窯を収めた箱に「九谷焼」と書かれ、同時に、製品そのものに銘「九谷」が書き入れられたことが始まり、それ以降、当時の諸窯に拡がりました。その後、窯元から独立した陶画工が自身の名前を製品に書き入れられました。これは、有田焼の生産方式と異なり、九谷焼の生産方式が素地窯とそれから独立した陶画工との分業が進んだことによると考えられます。

明治時代に入ると、陶画工の数も増え、銘「九谷」と陶画工の名前または屋号との組み合わせ、輸出九谷は国号など組み合わせられました。

例;「九谷/雪花」「九谷/雪山製」「九谷/秋山製」「九谷/相鮮亭造」「九谷/加長軒製」「九谷/開匠軒甚作製」「九谷/上出」「九谷製/亀田画」「於九谷/土井製/高田画」「九谷北山」「九谷/為吉」(二重角内)

銘「山号」

日本人にとって山は特別な存在でした。それは、山が多い日本では山を神の世界だと考え、日本人にとって古くから山が信仰の対象となり、生活のための非常に重要な存在であったからでした。古から、加賀の人々の間では白山が愛される山となり、また漁民や北前船の船頭は信仰の山であり、行先の標識のような存在であったので、自然に白山が崇高な山と見られ、明治時代の多くの陶画工が自分の屋号として「山号」を取り入れました。

例;「雪山」「陶山」「友山」「北山」「清山」「竜山」「逸山」「山月」「嶺山」「旭山」「嶺山」「美山」「江山」「喜山」「椿山」「卯山」「生山」「泰山」

銘「堂号」

堂号とは自分の家や書斎につける屋号でしたが、書道家、作家、茶人、画家、俳人、芸能人などにも多くの堂号があります。明治時代の陶画工の中には、自分の工房、絵付窯、陶磁器商店に「堂号」をつけました。

例;「雪山堂」「松齢/陶山/堂印」「三布堂製」「友山堂製」「北山堂」「松鶴堂」「九徑堂」「松雲堂」「北玉堂聚精」「芙蓉堂」

銘「国号」

「日本」に「大」を冠する慣習は古代から国内向けの名称として存在し、江戸末期になって「大日本」が外交文書に日本国の「国号」の一つとして使われましたように、対外的な国号に「大」を冠してこの号が使用されました。九谷焼に「国号」が使われたのは、万国博覧会に出品した作品に始まり、輸出九谷に多く見られました。

例;「大日本九谷/雪山堂製之」「大日本九谷/飯山製之」「大日本/九谷製/中埜画」

旧い国号「加賀」

加賀藩が江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地として有し、そこで九谷焼が発祥した歴史を持つ石川県民は九谷焼を誇りに思い、明治九谷に旧い国名の“加賀”を国号として使ったと考えられます。加賀国に絡んでその中心地 金沢の旧い呼称「金城」も一部に見られます。

例;「金城/友山」「加賀国/綿野製/竹内画」「金城/竜山」

銘「署名」

九谷細字の書き手が文章(漢詩文・平仮名文)の末尾に署名として屋号を、器の内側の文章の末尾に書き入れました。

例;「九谷・清山書」「九谷/鏑木製・北山書」

特異な銘

「相鮮亭」「彩雲楼」「鬼仏」

その他の銘

窯元の銘;「九谷阿部製」「金城岩花造(共書き)」

陶器商人の銘;「九谷/陶源」「大日本/加賀国/九谷/打田製」「九谷/円中製/逸山画」「織田製」「九谷/鏑木」「九谷/酢屋製」「九谷/谷口製」「大日本/松原製」「加賀国/綿野製」「綿安」「於九谷綿平製」「綿谷製」

転写の銘;「大明成化年製」(矢口製の染付)「奇玉宝鼎之珍」(大聖寺伊万里)

1.明代磁器の銘と古九谷の銘

2.再興九谷の銘

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です