初代 徳田八十吉 色絵人物山水図皿

作品の解説

広い白素地を水面と空に見立て、水面には人を乗せた小船が、そして空には咲く木花が張り出した情景を九谷五彩で描い人物山水図です。こうした広い白素地を取り入れた構図は古九谷に倣ったと思われ、五彩といい、構図といい、八十吉が古九谷を欽慕していたことがうかがわれる作品です。

サイズ;径 約18.6cm 高さ 約2cm

八十吉は、初めて見て目に焼き付いた古九谷の五彩の復元に生涯をかけたといっても言い過ぎではないほど、五彩の研究に打ち込みました。その結果、見事に再現されました。珍しく赤を多用していますが、この赤いさざ波によって全体が引き立てられています。

裏面には、高台の中に「九谷/八十吉」の銘が緑彩され、その縁に宝尽くし文が描かれています。ここも古九谷の大鉢に倣った構図です。

高台内の銘「九谷/八十吉」が緑彩され、共箱の裏に落款「鬼仏」が押されています。それぞれには経緯があって、銘については初代が角福を書き入れた自作の皿が本物として取り上げられたのを見て慌て、それをきっかけにこの銘に変えたといわれ、また落款については二代、三代 八十吉と見分けるために初代の号を落款として押したといわれます。

作品の制作者

初代 徳田八十吉 号は鬼仏。

明治6年(1873)-昭和31年(1956)

明治20年(1887)、14歳のとき、松本佐平が納富介次郎と共に設立した九谷陶画分業工場で工場主任を務めた佐平の弟子であり、兄の二木喜助を助けました。そして、陶画の指導にきた荒木探令の指導も受けました。

明治23年(1890)、17歳のとき、陶画の研鑚を積むために松本佐平に入門し、そのときに目にした「古九谷」や「吉田屋」の青手作品に強く惹ひかれました。

明治26年(1893)、陶画工の徒弟進級試験の卒業試験に合格し、陶画工としての資格を得たのを機会に独立し、古九谷、吉田屋の作風の再現という自らの目標を定め、素地や釉薬について学び、色釉の調合技法を研究し続け、ついに到達点にたどり着きました。

門人には浅蔵五十吉、二代、三代 八十吉などがいました。晩年、三代 八十吉に信頼を寄せ、色釉の調合を頼み、その調合割合を“黒い手帳”に記号で遺したたことはあまりにも有名な話です。

 

管理№ 2106271
展示開始年月日  2021.7.20
希望価格 18800円 委細相談
備考 共箱付き