民山窯の素地

民山窯は、文政5年(1822)、加賀藩士 武田秀平(号は民山)が金沢に開いた窯元です。武田秀平は春日山窯が文政元年に閉じられたことを惜しみ、春日山窯を再興することを思い立ったといわれます。民山窯の登り窯は、春日山窯跡の窯を復興したのか、春日山にあった秀平自身の持ち地に新たに築いたのか不明です。ただ、陶工として、本多貞吉から陶法を学び、若杉窯で活躍した山上松次郎を呼び寄せていました。なお、錦窯は金沢の自邸内に築きました。

陶石は能美郡(群の管理下にあった若杉陶石以外と考えられる)より、陶土は金沢近郊より運んだといわれ、できあがった素地は石物と呼ばれました(陶石を砕いて形作ってそれを焼いたため)。それは硬く締まっていて、少し鼠色であり、あるいは淡い茶褐色を帯びた磁胎で、全体に荒い貫入がありましたので、若杉窯ほど上質の素地は少なかったといわれます。

この窯の製品には皿・鉢・向附などの中型以下のものが多く、それらの図案は、素地の色相に合わせて、主として赤で細描され、ほかに緑・黄(浅黄)・紫・紺青で絵付けされ、一部に金彩もされています。その赤が濁った色合い(臙脂赤といわれる)であるのが特色でしたので、後の宮本屋窯の八郎手を思わせるといわれます。

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